2009年10月06日

高麗の建国期は

高麗の建国期は中国では五代十国の混乱期にあたり、自国の年号と中国王朝の年号を交互に使用することになる。つまり、独自の年号を使用しつつ、中国に安定した政権が現れると事大しその政権の年号を受け入れていた。また宋と遼が並立するようになると、両者に事大し両者の年号を併記した。ただし高麗にとって遼への事大はその武力に従ったもので、宋に対する慕華の念が薄れたわけではなく、北宋と遼、あるいは後に南宋と金、両朝の年号を併記する際にも宋の年号を先に記していた。

現存する文献中「小中華」「小華」の文字の初見はこの頃のもので、宋へ派遣された高麗使節の詩を、宋人が高く評価し詩集にまとめた『小華集』がそれに当たる。この詩集が「小華」と名付けられたことから、朝鮮人は「自己の文化は、中国王朝に準ずる高い水準に達したと、中国人から評価された」と解釈し、以降文化的優越観を込めて「小中華」「小華」の文字が使われ始めることになる。
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遼が金に滅ぼされると高麗は金に圧迫されて事大し、宋と金の年号を併記するようになる。その一方で高麗の文化的優越観は高まりを見せ、北宋滅亡後、南宋を西華と呼び「文明の朝は東の天より輝く」と文化的には中国王朝と対等とする自意識が表れる。一方蒙古(元)が勃興すると今度は蒙古に屈服し、蒙古の年号を用いることになる。蒙古による支配は通常の冊封関係とは違い、内政にまで強く干渉してくるものであり、国王は元帝室の娘婿となり、国王以下官僚達は辮髪をし衣冠服飾も元の俗に倣うことになる。

2009年10月02日

疑似科学

疑似科学(ぎじかがく)とは「まがいものの科学」あるいは「ニセものの科学」である。つまり、科学的方法に基づく、あるいは科学的に正しいと認められている知見であるかのように誤認されているが、実際にはそうではないものを指す。英語で対応する語は「にせの」「まがいの」を表す pseudo- と「科学」science の複合語 pseudoscience(シュドサイエンス)である。

あらゆる科学上の異説・珍説と疑似科学とを明確に区別できるような定義の確立は古い問題であり、その境界を定める試みは繰り返しなされてきたが、すべての者に等しく許容され、あらゆる批判に耐えうる結論には至っていないとされる。1934年、カール・ポパーにより提示された反証可能性を科学の条件とする考え方は一定の評価を得ているが、これについても議論はあり、他方で統計学的手法なども発展している。
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現代の疑似科学の分野や傾向は多岐にわたるが、本来の科学研究・教育を行なう立場からは様々な文脈で批判されているほか、一部はいわゆる悪徳商法と親和性が高く詐欺行為に用いられることもある。
「疑似科学」を意味する欧語の初期の用例としては、19世紀前半に実験生理学の先駆者とされるフランス人生理学者フランソワ・マジャンディーが著書 Précis élémentaire de physiologieで骨相学について用いた仏語 pseudo-science がある。

日本語では、ほぼ同義の語彙として「ニセ科学」あるいは「似非科学」という語も用いられ、より一般に「科学(的)でない」ことについては文字通り「非科学(的)」という表現がある。

2009年09月22日

空母打撃群の水上戦闘艦は

空母打撃群の水上戦闘艦は、Mk 45 5インチ砲を装備しており、これにより、沿岸地域の敵に対して攻撃を行なうことができる。

艦砲射撃は、上二者に対して、投射できる火力量は大きく劣り、また、射程が短いことから、敵の反撃による損害のリスクが大きくなる上、制圧可能範囲も小さくなるというデメリットがある。しかし一方で、所要のコストが前二者よりもはるかに廉く、また、持続的な火力発揮が可能であるというメリットもある。射程を延伸した誘導砲弾(射程 117 km)の配備も始まったことから、沿岸に敵対艦火力が存在せず、またTWSや艦載機を投入しない(あるいはできない)などの限定的な状況においては、依然として有力な選択肢である。
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空母打撃群は、航空母艦の艦載機、および護衛のミサイル巡洋艦、ミサイル駆逐艦、ミサイル・フリゲート、攻撃型潜水艦を展開することにより、その火力のおよぶ限りの海空空間を支配し、また、自らに向かってくる脅威から身を守ることができる。

空母打撃群が有する最有力の対空戦闘システムは、航空母艦より運用される艦上戦闘機および空中早期警戒機、そして艦隊のC4Iシステムによる複合システムである。

2009年09月04日

ロシア海軍

ロシア海軍(―かいぐん)は、ロシア連邦が保有する海軍。旧ソ連海軍とは密接な関係があるので、ここでは一括して扱う。

現在、北方艦隊、バルチック艦隊、黒海艦隊、太平洋艦隊の四艦隊とカスピ小艦隊に分かれている。中国、北朝鮮の海軍に大きな影響を与えている。

ロシアはもともと内陸国であったが、ピョートル大帝の時代の1693年にアルハンゲリスクにロシア初の造船所を建設し、1696年に海軍を創設した。1699年のオスマン帝国とのカルロヴィッツ条約でアゾフ海の制海権を得る。
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1700年に始まった大北方戦争の最中の1703年、フィンランド湾奥に海港サンクトペテルブルクを建設。バルト海艦隊(いわゆるバルチック艦隊)の本拠となった。1712年、ハンゲの海戦でスウェーデンを撃破し、バルト海の覇権を得る。これを機にロシアは海軍の整備を始めた。ただし、ロシアがその海軍力を誇示できる様になるのは19世紀以降の事である。18世紀まではスウェーデン海軍に敗れるなど稚拙な面は否めなかった。しかし、日露戦争勃発までには豊富な国力によって10隻を超える戦艦を有する大規模な海軍を有するようになった。

2009年08月21日

運動においてはキング牧師らを中心とした聖職者が

運動においてはキング牧師らを中心とした聖職者が著名な指導者となったが、数多くの組織やアメリカ先住民や日系アメリカ人などの他の有色人種や白人を含む個人が参加して行われたもので、運動の形態も、訴訟、街頭でのデモからレストランでの座り込みに至るまで多岐に渡った。

これに対して多くの州における警察当局は「治安維持」を理由にデモ隊を過酷に弾圧するなどしたため、これに反発した黒人らによる大規模な暴動に発展することもしばしばであった。

また、ローザ・パークス逮捕事件と「モンゴメリー・バス・ボイコット」に先立つ1954年には、公立学校における人種隔離を違憲としたブラウン対教育委員会裁判判決が最高裁において下され、これ以降、全米の学校において長年行われていた人種隔離が廃止されていくこととなった。
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しかし1957年には、ブラウン対教育委員会裁判判決以降も白人しか入学させていなかった、アーカンソー州立リトルロック・セントラル高校への9人の黒人学生の入学を、再選のための白人票稼ぎを目論んだオーヴァル・フォーバス州知事が拒否し、「白人過激派による襲撃事件が起きるという情報があるので学校を閉鎖する」という理由をつけて州兵を召集し学校を閉鎖し、黒人学生の入学を妨害するという事件が起きた。

2009年08月07日

文化相対的な固定観念

複数の文化において、それらが相互に異なるとき、特定の文化のなかでは自明的に妥当とされる考え方や観念が、別の文化に所属する人には、特定文化に固有な固定観念に見えることがある。また、実際に、別の文化を持つ社会に赴き、その社会のなかでは当然とされている考え方や価値観やものごとの把握に対し、反証を提示して異議を述べても、容易に相手の考え方や価値観が変化しないことがある。

このような「文化相対的視点での固定観念」は、情報の流通が世界的に広く行われておらず、様々な知識や文化や社会の多様性が知られていなかった時代や地域においては成立していた。しかし、21世紀に至り、他文化や他社会に関する知識や情報が、広く地球上の至る処について知られるようになった状況では適切なものではない。無論、自分の属する文化とは異なる社会や文化に関して無知であり、知ろうとする努力もしない人の場合は、なおこのような、先入観に基づく固定観念を持ち続ける状況はある。

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20世紀の半ば、あるいは後半においてさえも、社会科や歴史の教科書で日本について説明して、ちょんまげを結った武士や町人の絵などを掲載し、あたかもそれが現代の日本の風俗であるかのような紹介をしていた国の例があるが、さすがに21世紀となって、そのようなアナクロニズムな文化的な誤解、あるいは固定観念は消えている。

2009年08月01日

中国武術

中国武術(ちゅうごくぶじゅつ)とは、中国大陸に起源を持つ武術の総称。「中国武術」は中国では単に武術(ウーシュー、wǔshù)、台湾省では國術(グォーシュー、guóshù)(日本でこれから転じて国術)、広東省など両広地方では功夫 とも呼ばれる。また、中国で単に「武術」というと世界中の武術、武道、格闘技全般を指すこともある。

中国拳法とも日本ではよく呼ばれるが、中国での名称である武術という言葉が示すのは徒手技術である拳法のみではなく、火器を除く武器術も含まれる。武器は中国においては器械、または兵器と呼ばれ、刀や剣に代表される短器械、槍や棍に代表される長器械などがある。中国の武術の門派の数は有名なものだけで400とも600とも言われるが、徒手拳術と器械を備えている門派が多い。
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現在、「武術」(ウーシュー、日本名「武術太極拳」)の競技名で点数制の套路競技(表演競技)や散手(散打)競技(徒手の組手競技)が中国国内だけでなく国際的に行われている。

中国では武術の目的は「看」、「健身」、「実用」、すなわち見て美しい演武を行うこと、体を鍛えて健康になること、そして相手を殺傷できる力をつけることの3つであると考えられている。「看」の側面を強調したものは表演武術である。「健身」の側面を強調したものは太極拳である。

2009年07月14日

被差別部落の起源については諸説が存在し

被差別部落の起源については諸説が存在し、未だ意見の統一を見ていない。

政府が同和対策に取り組み出した1960年代からおおよそ1980年代の頃までは「近世に幕藩権力が無から全てを作り出した」といういわゆる「近世政治起源説」が信じられていたが、これが学術的に否定されたことによって、現在では中世以前の様々な要素を踏まえたうえでその起源についての考証が行われている。

身分制度は社会的地位であり、本来血統とは違っていた。江戸時代以前にも当然存在したが、江戸幕府による政権安定化のための身分世襲化が進んだ。身分制度は儒教的な思想の影響を受け、社会的役割の固定化によって安定がもたらされると考えられていた。なお、「士農工商」と呼ばれる4身分がよく知られているが、実際はそれ以外にも多種の身分が存在していた。また、最近の研究では「老若男女」のように「みんな」という意味であり、「士農工商」の順序に特に意味はないとする説が強くなっている[4]。
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部落問題において被差別者とされるのは、被差別部落[5]に現在住んでいる、またはかつて住んでいたことがある、血筋が穢多、非人身分にあった人とつながっている、など密接な関係があると周囲の人に考えられている、あるいは自分でそう自覚しているが故に、「部落民」と看做されて現実に忌避・排除の対象となる、あるいはその可能性を潜在的にもっている人々である[6]。その意味において、現在の部落差別を語る際、前近代社会の賤民身分の歴史から説き起こすのが通例となっている。

2009年07月05日

戦後の消防自動二輪は

戦後の消防自動二輪は、1960年代に導入された大阪市消防局の赤バイが先駆けとなったが、導入当時は高度経済成長期であった上に自動車の登録が増加、隊員が交通事故などの被害に遭うなどの理由で十数年後に大阪市は赤バイ隊を廃止した。(現在の大阪市の都市計画などを見ても、今後は復活の見通しはないように見られる)

1997年1月、千葉県八千代市消防本部に2台一組で行動する「消防機動二輪部隊(通称ファイヤーバスターズ)」が配備された。HONDAナイトホーク250を使用し、水タンク、水を霧状にして火元に叩きつけて消すフォグガンを装備する。この「消防二輪」は大阪市が廃止して以来の復活である。
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1997年12月、東京消防庁はYAMAHAセロー225に消防資機材を搭載した消防活動二輪隊『クイックアタッカー』の運用を開始した。この部隊は2台1組となり、1号車には可搬消火器具『インパルス』または『ポータブルCAFS 武蔵』を、2号車には、油圧式救助器具『ユニツール』を装備している。震災時の初動を任務とするほか、渋滞する高速道路での交通事故救助活動、山岳救助等に活躍している。なお、1969年?76年にかけて東京消防庁にも赤バイ隊が存在しており、火災現場に一番乗りした赤バイ隊員が要救助者を救助したことがあったが結局廃止に至った経緯がある。

2009年06月15日

くさやとは、魚類の干物の一つで

くさやとは、魚類の干物の一つで、伊豆諸島の特産品として知られる。新鮮な魚を「くさや液」と呼ばれる魚醤に似た独特の風味をもつ液に浸潤させた後、天日干しにする。発酵食品の一種とされる場合もあるが、発酵しているのは魚ではなく、くさや液である。

くさやは、新鮮なムロアジ、トビウオ、シイラなどの魚を使用した干物であり、伊豆諸島での生産が非常に盛んである。独特の強烈な臭気があるので人によって好き嫌いが大きく分かれる。

味は塩辛いながらもまろやかさがあり、味わいから感じるほど塩分は高くはない(くさや液の塩分濃度は濃くても10%程度)。近年は体によい食品として関東地方を中心として出荷されている。その個性のある強い味わいから「島焼酎」と呼ばれる伊豆諸島産の焼酎やコシの強い(乳酸の多い)日本酒によく合うとされる。

開いた新鮮な魚を、「くさや液」(くさや汁とも)と呼ばれる浸け汁に8?20時間ほど浸け込み、くさや液をよくなじませてから真水で洗浄し、天日に1-2日ほど干す。また一般の干物製造と同じく、天日ではなく乾燥機などによる強制乾燥も行われる。出荷に際しては、独特の臭気があるため大抵の場合臭いが漏れないよう真空パック・瓶詰めなどにして出荷される。
フェスティバル
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歴史 [編集]
くさやは長い歴史をもつ食品であり、江戸時代には献上品とされていた記録が残っている。正確な発祥地は不明だが、伊豆諸島では新島を元祖とする説が有力であり、八丈島のくさや製造業者団体である八丈島水産加工業協同組合は「八丈島のくさや製造は新島からくさや液を分けてもらって始められた」としている。現在は伊豆諸島各島で製造されており、特に新島と八丈島で盛んである。

くさやという言葉は江戸時代の江戸の魚河岸の間で「くさいからクサヤ」という名前がついたという説があるものの、いつの頃から呼ばれるようになったかは不詳である。

起源 [編集]
当初は単純な塩水に浸けた魚を干したものであったらしい。塩水を使いまわしながら干物を作っていたところ、それに魚の成分などが蓄積し、さらに微生物などが作用することで現在のくさや液のもととなるものができたとされる。

背景 [編集]
伊豆諸島では急峻な斜面が多く、稲作や畑にする土地が少なかった。その代わり、伊豆諸島には塩という特産物があったので、江戸幕府は米の代用として塩を年貢として献上することを命じた(塩年貢)。米の年貢が村人全体総出で納めないとならないのと同じように、伊豆諸島の塩も島中の島民総出で作らないとならないほどの量を納めていた。当然ながら塩はとても貴重なもので、勝手に塩を盗んだり独占しようとしたら、その一家は取り潰しにされるという厳しい掟があった。

くさやの原型 [編集]
伊豆諸島では製塩のほかには魚などを獲っていた。釣った魚を江戸まで運ぶには塩漬けにして干物にするのがよいが、貴重な塩を大量に使うわけにはいかない。そこで島民たちは試行錯誤の上、塩水に浸しておいて干す方法を思いついた。浸すたびに塩水を取り替えたいが、塩は貴重なので、やむなく塩水を使いまわした。できた干物は一見傷んでいるように見えたが、食べたところおいしかったので、これが広まったという説がある。